同じ言葉でも、文脈が変われば意味は変わる
発信で大事なのは、結論を言うことではなく、受け手の脳内に正しい文脈をセットすること。文脈を共有していない相手にも伝わるように、最低限の背景や経緯は、きちんと置いてあげる必要がある
個人的に大好きなイグゼロさんがFacebookで話題にしていて、
「これは面白いな」と思ったので、こちらでも少し。
テーマは、文脈、つまりコンテキストの妙についてです。
最近、M!LKの「好きすぎて滅!」という曲を見ました。
本家はこちら。
M!LK「好きすぎて滅!」-YouTube
そして、ゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんがカバーしているバージョンもあります。
曲も、歌詞も、同じです。
なのに、受け取る印象がまるで違う。
本家のほうは、どこか純愛っぽく見える。
「好きすぎる」という感情も、青春の延長線上にあるように感じる。
でも、金爆の鬼龍院さんが歌うと、なぜか急に、
「いや、それ一方的な勘違いでは……?」
「もはやストーカーでは……?」
みたいに思えてくる。
同じ曲。
同じ歌詞。
同じ言葉。
それなのに、誰が、どう伝えるか・見せるかによって、受け手の脳内で立ち上がる意味が変わってしまう。
これが、すごく面白いなと思ったんです。
もうひとつ、昔から好きな例があります。
同じセリフなのに、
佐々木希さんが言う場合と、吉田沙保里さんが言う場合で、
まったく違う意味に聞こえてしまう、という話です。
佐々木希さん
「あの人、落としてみようかな」---
吉田沙保里さん
「あの人、落としてみようかな」
引用:http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51884527.html
セリフはまったく同じです。
でも、脳内で想起される結果が、まるで違います。
佐々木希さんの場合は、恋愛的な意味で「落とす」感じがする。
でも、吉田沙保里さんの場合は、物理的に落とされそう…というか、なにかをヤられてしまいそうな気がする。
いや、もちろんこれは完全に受け手側の勝手なイメージです。
でも、だからこそ面白い。
言葉の意味は、言葉そのものだけで決まっているわけではない。
誰が言うのか。
どんな見た目なのか。
どんな背景を持っている人なのか。
受け手がその人に対して、どんな印象を持っているのか。
そういう文脈が重なった結果、
同じ言葉でも、まったく違う意味として届いてしまうんですよね。
これは、発信やコンテンツ作りでもよく起きていることだと思います。
たとえば、泣ける映画もそうです。
泣ける映画の多くは、
ただ悲しい出来事が起きるから泣けるわけではありません。
多くの場合、そこには、
思い込みによるすれ違いが発生する
その思い込みが少しずつ解きほぐされていく
最後に一気に誤解が解消される
という流れがあります。
つまり、感情が動くのは、
出来事そのものではなく、
受け手がどんな文脈でその出来事を見ているかによって決まる。
最初に誤解がある。
でも、観客は途中で少しずつ真実を知っていく。
そして最後に、登場人物同士の認識もつながる。
そこでカタルシスが生まれる。
これは、芸人さんでいうところの「フリ」と「オチ」にも近いと思います。
オチだけを聞いても、面白くない。
でも、そこまでのフリがあるから笑える。
つまり、感情が動くには、
その前にちゃんと文脈が積み上がっている必要があるということです。
これを発信媒体の中でうまく再現できたら、
かなり強いだろうなと思います。
でも、正直に言うと、私自身まだまだ修行中です。
私はわりと、結論だけを言いがちです。
自分の中では、すでにいろんな前提や経緯がつながっている。
だから、つい途中を飛ばして、
「つまり、こういうことです」
と結論だけを出してしまう。
でも、読む側からすると、
その結論に至るまでの文脈を共有していない。
だから、
「え、なんでそうなるの?」
「急に何の話?」
「言いたいことはなんとなくわかるけど、腑に落ちない」
となってしまう。
これは、発信者側の怠慢でもあるなと思いました。
自分の中では当たり前でも、
相手にとっては当たり前ではない。
自分の中ではつながっていても、
相手の中ではまだつながっていない。
それなのに、
「わかる人だけわかってくれればいい」
という態度で出してしまうと、
それは単に、自分の中の常識を押し付けているだけになってしまう。
厳しく言えば、
受け手への配慮が足りない発信になってしまうんですよね。
もちろん、すべてを説明しすぎると野暮になることもあります。
「言わぬが花」という感覚も、たしかにある。
余白があるからこそ伝わるものもあるし、
あえて全部を説明しないことで、
受け手の想像が広がることもあります。
ただ、それはあくまで、
最低限の文脈が共有されている場合の話です。
前提がまったく共有されていない相手に対して、
いきなり結論だけを投げても、
それは余白ではなく、ただの説明不足になってしまう。
ここを勘違いしてはいけないなと思いました。
ちょうどそのタイミングで、
こちらのYouTubeでも、似たような話を見ました。
※全部、ボトックスのおかげ
箕輪さんがこぎれいになっている、という話から始まるのですが、
その後の「見た目」や「文脈」の話がとても面白かったです。
人は、相手の話を中身だけで受け取っているわけではない。
見た目。
雰囲気。
立場。
過去の印象。
その場の空気。
そういうものを全部含めて、
相手の言葉を解釈している。
つまり、言葉は単体で存在しているのではなく、
常に文脈の中で受け取られている。
これは、文章でも、動画でも、SNS投稿でも、セールスでも同じですね。
だから、今日の学びを一言でまとめるなら、
伝わるかどうかは、内容だけではなく、文脈で決まる。
ということです。
もっと言えば、
発信で大事なのは、結論を言うことではなく、受け手の脳内に正しい文脈をセットすること。
なのだと思います。
同じ言葉でも、
誰が言うかで意味は変わる。
同じ情報でも、
どんな順番で出すかで印象は変わる。
同じ結論でも、
そこに至るまでの前提が共有されているかどうかで、
納得感は大きく変わる。
だからこそ、発信する側は、
「自分には見えている前提」を、
相手も当然わかっていると思い込んではいけない。
文脈を共有していない相手にも伝わるように、
最低限の背景や経緯は、きちんと置いてあげる必要がある。
そんなことを学んだ本日でした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
金城有紀
追伸>
後日、見た目の第一印象から、コンテキストがはじまるんだ、ということに思いいたった次第です。


